ソフトバンクにマジック17点灯 [野球]

プロ野球パ・リーグは17日、ソフトバンクが2位の日本ハムと延長11回、1―1で引き分け、優勝へのマジックナンバー17を点灯させた。日本ハムがソフトバンク戦5試合を含む残り25試合に全勝しても、ソフトバンクが日本ハム戦以外の残り17試合に勝てば、勝率で上回るため。


球児仲間が記念の碑 野球殿堂・故皆川さん顕彰 山形 [野球]

プロ野球通算221勝を挙げて野球殿堂入り(エキスパート部門)を果たした故皆川睦雄さんの顕彰碑が、かつてのチームメートらによって山形県米沢市に建てられる。オールドボーイたちは「皆川さんの偉大さを若い人にも知ってもらい、活躍してほしい」と、期待している。

 皆川さんが所属した米沢西(現在の米沢興譲館)高野球部OBの浩球会で「殿堂入りのお祝いをしよう」と話が出たのは、今年3月ごろ。当時一塁手で県高野連理事長も務めた高野譲さんを委員長に実行委員会をつくり、碑の建設を決めた。

 碑は高さ1.9メートル、横1.6メートル。上部は黒御影石で白御影石の白球が埋め込まれ、「皆川睦雄顕彰碑 野球殿堂入り」と刻まれる。白御影石の台座部分には、皆川さんの経歴や主な成績が刻まれる。製作費は120万円で、米沢市が半額を補助する。「皆川球場」の愛称で呼ばれる米沢市営球場には、皆川さんのレリーフがすでにあり、顕彰碑も、その近くに建てられる。来月22日に除幕式が予定され、夫人の真智子さんも出席し、殿堂入りのレリーフが市に寄贈される見込みという。

 高野さんは「家が遠いので、2年生の時にわが家に下宿していたことがある。高校時代から抜群の選手だった」と思い出を語る。

 皆川さんは1935年米沢市生まれ。東北大会で宮城の白石に敗れて甲子園出場は逃したが、54年に南海入りし、56年から8季連続で2桁勝利を記録。68年には31勝10敗、防御率1.61で最多勝利と防御率1位に輝いた。この年の皆川さんを最後にプロ野球では「30勝投手」は出ていない。引退後は阪神、巨人、近鉄のコーチを務め、2005年2月に他界した。今年1月、県内出身者として初めて殿堂入りした。

 米沢市は05年に市民栄誉賞、県は翌06年に県民栄誉賞を贈っている。(内藤文晴)


田中崩れた 楽天、自力CS消滅 [野球]

 自力でのCS進出が断たれた楽天。15勝でチームを支えてきた田中が崩れた。投球時に頭が突っ込むフォームの乱れが出て制球が定まらず、毎回の13安打。それでも完投して4失点にまとめたが、援護は4回以降なかった。「大事な試合が続く中で、こんな投球になって情けない」。球団新記録となるシーズン206奪三振に花をそえられなかった。

 ○渡辺監督(西) 「中盤までの4点が大きかったね。岸もよく粘った。戦力が整ってきた」。3連勝に言葉が弾む。

 ○岸(西) 8回2失点で6勝目。「ブルペンは最悪だったけど、開き直りました。チームの雰囲気がいいですね」


ダルビッシュ、9回の痛恨 「まだ終わってない」 [野球]

日本ハムのダルビッシュが打球を見つめ、天を仰いだ。「外野を越えるのがわかった」。9回1死二塁、松田に対して内角を狙ったツーシームが真ん中に入った。右中間を抜ける同点適時三塁打。8回まで完璧だった。散発の4安打、11奪三振で捕手の鶴岡が「ピンチでも打たれる気がしなかった」という。相手の優勝マジック点灯を阻止できなかった右腕は、「まだ終わったわけではない」。

 △梨田監督(日) 「チームにとってもダルにとっても痛い。一戦一戦やるということしかない」


川端、2度の同点打 ツバメ引き分け [野球]

 9連勝中のヤクルトがひと休み。小川監督は「チャンスで点を取れなかった。横浜も同じでお互い様なんですけどね」と苦笑いした。6回は同点に追いついてなお無死満塁と攻めたが、宮本が投ゴロ併殺に倒れるなど勝ち越せず。7回も1死一、三塁で、田中のバントに三塁走者がスタートを切らないミスがあった。監督は「でも、負けなかったのは大きいと思います」と前向きだった。

 △川端(ヤ) 適時二塁打2本を放ち、「流れが悪かったので、その中では最高の形になった。勝ちたかったが、負けなかったのはよかった」。


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